鳥と魚と僕とポーク

実るほど頭を垂れる稲穂かな

とあるYouTuberが某タレントの整形を揶揄したとして法的措置。表現の自由とは一体なにか。

とあるYouTuberが某タレントさんの整形を揶揄したものまねをTwitterに投稿したことに対して、タレントさんが方的措置を進めていることを報告したというニュースを見ました。

 

どんなツイートをしたかの詳細はニュースサイトなどで見ていただくとして、こういった事件というか問題が起きた時に囁かれるのは『表現の自由』と言った言葉。

 

確かに国民には表現の自由が認められています。

 

ですが、いくら“自由”と言えど『何をしてもいい』という事ではありません。

 

大体『表現の自由』を盾にする人はあまりいい印象がありません。

 

表現の自由があるから何を言ってもいい。

それが表現の自由だ。

 

そう考えている人が少なくないように感じます。

表面的な部分しか見ず、言葉の字面だけを見て言葉を解釈しているように感じます。

 

表現の自由とは一体なんでしょう。

 

表現の自由とは

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憲法にはこう記されています。

難しいので、簡単に言いますと。。。

 

基本的人権の中にある「自由権」に分類され、個人として自由に考えて、意志や意見、事実などを表明する権利を保障しますよ。ということになります。

 

こう見ると「なんでも自由に発言してもいいんじゃないか」とこうなりそうです。

例えば、デモ活動や集会を開催して、自分たちの意見や意思を表明すること、Twitterなどでメッセージを発信することなどが保障されています。

また、文章やイラストなどの創作物を発表することも「表現の自由」の一つであると認められています。

 

表現の自由」は民主主義を成立させると共に、個人が自身の表現を通じて自分らしく生きていくためにも重要な権利です。

 

ですが、他人に暴言を吐く、揶揄する、誹謗中傷をするなどどんな表現も許される訳ではありません。

表現の自由」を行使するためには「公共の福祉」という考えがあることを知るべきです。

 

意外と知られていない『公共の福祉』

 

いくら『表現の自由』とは言え「何を言ってもいい」わけがありません。

表現の自由』の裏には『公共の福祉』というものがあります。

 

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憲法ではこうなっています。

なかなか難しいので、みんなのWikipediaで調べてみたところ

 

公共の福祉

公共の福祉の意味については、争いがあるが主に他人の人権を侵害するような自由及び権利は制限されるという意味を持つと解釈されている。尚、現行憲法では「公共の福祉に反する場合」国民の基本的人権(言論・結社・身体の自由等)を制限できるので、極めて重要である。

公共の福祉 - Wikipedia

 

とこう書いてありました。

今でも議論が続いているようですが、一般的にはこういう内容で解釈されているみたいです。

 

ちなみに第二十二条も含めるとこんな感じ。

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第二十二条に「公共の福祉」という言葉が出てきています。

 

わかりやすく説明しますと

人権と人権のぶつかり合いを公平的に調整するものということになります。

 

 

喫煙家と嫌煙

例えば

あなたと親友の2人が狭い部屋で楽しく話していました。

喫煙者である僕がタバコを吸いたくなりました。

ですが、親友はタバコを吸わない嫌煙家。

こんな状況があったとします。

タバコに限らず何かしらこういった状況は現実でも遭遇すると思います。

 

タバコを吸うというを喫煙権

タバコを嫌うというのを嫌煙

 

という人権だとした場合、互いの人権は対立することになります。

人権を押し倒すことはどうしても難しくなってきます。喫煙権の人権を押し通せば嫌煙権が侵害されてしまいます。

逆ももちろんのこと。

 

いずれかの人権を押し倒すことは不可能に近いということになります。

 

お互い妥協しましょうよ

人権の衝突を回避する方法は「お互いに妥協する」しか方法はなさそうです。

お互いが許せるポイントまで歩み寄り妥協する。

 

こうなります。

つまり実社会でもこういうことになります。

『何らかのルールを設けてそこを妥協点として上手く世の中を回しましょう』

というのが“公共の福祉”になります。

 

 

表現の自由」は万能ではない

表現の自由を行使するためには、お互いの自由を尊重する必要があるということです。

何でもかんでも表現の自由を訴えればいいというものではないということ。

 

相手の人権を侵害するような発言はいくら表現の自由といっても通用しないということになりそうです。

勘違いした人たちが「何をいっても表現の自由だ」と声を大にして発言する。

 

本当に良くないですよね。

相手を傷つけて自分の利益を得るなんていうのは、寂しいことだと思います。

 

お互いが理解し合った上でそういう行動を取るならいいとは思うのですが、相手が不快な思いをするようなことをして自分の利益に変えるのはやめていただきたいと思います。

 

片側だけを見るのではなく、必ず裏側も見ることが自分の表現の自由を守るためにも大切なんじゃないかなと思う今日この頃です。

 

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