鳥と魚と僕とポーク

実るほど頭を垂れる稲穂かな

小学校のグラウンドで80代女性が小学生とぶつかり足を骨折したことに対して損害賠償命令

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ちょっと理解が追いつかないニュースが飛び込んできました

 

報道によると2019年、滋賀県の小学校にて当時小学生の男性2人がゴルフ愛好会の活動に参加していた女性にぶつかった事故があり、女性は転倒し、足の骨を折るけがをしたという。女性は男性2人と市に約725万円の損害賠償を求めた訴訟を起こし、25日には大津地裁にて男性2人に88万3041円の賠償が命じられた

 

ということで

2人の男性に88万円を損害賠償として支払えと命じられたそうです

僕はこの事件全く知らなかったのですが

そもそも725万の損害賠償を求めるというのもちょっと考えられないのですが

 

小学校で小学生がグラウンドを走るなんて普通のことですし

むしろ言うなればそれが本来あるべき姿だと思います

そこに80代の女性がゴルフ愛好会のために小学校にやってきてぶつかって転んで骨折したから慰謝料払えというのはちょっとむちゃくちゃ過ぎないでしょうか

 

子供が外で元気に走り回る

 

とても素晴らしいことだと思います

これだけネットやゲームが人気な現代でそれでも外で遊ぶなんてとてもいいことだと思います

 

確かに女性とぶつかったことは危ないし

骨折したことに対しても痛ましいことだと思います

しかし訴訟を起こすほどのことでしょうか

 

  • 「でも日本ではけがさせた方が悪いという裁判の結果が多い」
  • 「骨折は流石に子どもとはいえやり過ぎじゃないかな」
  • 「88歳で大腿(だいたい)骨の骨折ってなるとこの先一生寝たきりになる可能性も低くないしそう考えると納得の金額なのかなと」
  • 「自由に走り回るのはもちろん良いとして、他人をけがさせて良いとはなりませんよね」

 

なんていう意見も出ています

確かにその意見も理解できます

 

ただ一つ思うのは

世の中本当にこれでいいのでしょうか

本当にこれで大丈夫なのでしょうか

 

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他の記事をみてみると2019年時点で小学生6年生だったようなので

2024年現在では高校生になっている頃でしょうか

 

いずれにしても

賠償金支払うのは親御さんだと思います

こういう事例が出てしまうと

少子化にさらに拍車を掛けてしまう要因になりかねないのではないでしょうか

 

「そういう高齢者もいるんだ」

と今回の一件で少なくとも僕はそう思いました

昔話は好きではありませんが

僕が小学生の頃は携帯ゲーム機もあまりありませんでしたので外に出れば公園などで遊ぶというのが一般的でした

もちろん自宅でゲームをして遊ぶという日もありましたが割合でいうと外で遊ぶ方が多かったです

 

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『子供は元気に外で遊ぶ』

みたいな風潮がバリバリあった時代ですからね

僕自身外で遊ぶ方が好きでしたしね

 

ですから外で走り回ってる子供達を見ると嬉しくなります

さすがにスーパーやショッピングモールなどで走り回ってるのはあまり良いとは思えませんが

しかしそういう場所でもベンチに座ってSwitchなんかしてる姿を見ると少し寂しい気持ちにもなります

 

子供が元気に遊ぶってなんかみている方も元気になります

 

子供に直接損害賠償を求めるのではなく

大人に求めるのが正当なのではないでしょうか

 

子供がやったことだからと言って子供に損害賠償を求めるのはこれからの未来を大きく揺るがすことになりかねないのではと思ってしまいます

 

「小学生だしぶつかっても仕方ないよね」

とまでは思いません

相手の女性は骨折という大怪我をしていますから「ごめんね」で済ませることはできません

 

ただ損害賠償というのはあまりにも大きすぎるのではと思いました

 

この判決は本当に正しかったのでしょうか

若い子供よりも高齢者側につく

未来を考えると間違っていないと言い切れるのでしょうか

社会はそれで大丈夫なのでしょうか

 

様々な意見があることは理解しています

しかしながら僕はどうしても理解ができません

他にいい解決方法があったのではないかと思えてなりません

日本の未来はどこに向かうのでしょう

 

「類は友を呼ぶ」は本当なのか

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僕が今勤めている会社は僕の地元ではありません

とはいえ隣なので

「福岡から東京に出てきました」

というようなレベルではないのですが

 

別に自分から望んで今の土地に移り住んだわけではなくただ流れでそうなっただけ

なのですが職場の人は比較的近くから来ている人が多いです

 

いわゆる地元の人が多いということです

 

そこで最近思うことがあります

 

「人を見下す人が多い」

ということです

 

もちろん職場の人だけの可能性は大いにあります

むしろその可能性しかないかもしれません

ただ“僕と同じように感じている人が複数人いる”ということから僕自身も「そうなのかな」と思うようになりました

 

それを言われるまで意識していなかったのですが

そう言われてから「確かにそういう人が多いな」と感じております

 

ある程度その土地の“民主性”のような元はあると思います

その土地土地の方言があるようにその地方の“色”みたいなものはあるんだろうなと

 

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職場内であっても地元ではない人ももちろんいるのですが

それでも「人を見下す人」はいます

 

そこで頭に浮かんだ言葉が『類は友を呼ぶ』という言葉でした

地元に同じような人がいるのではなく

一つの地域に同じような人が集まる

のかなと

 

実は「類は友を呼ぶ」は脳科学的に正しいのではないかという結果もあるそうです

研究では『知らない人と手をつなぐよりも恋人と手をつないでいる方が痛みに対する恐怖が和らぐ』という研究があるそうです

 

つまり自分と親近感というか似たような感覚の持ち主が集まるのではないかと

 

なので勤めている職場もそういう人が集まってきているのかなと思います

 

皆様の職場はどうでしょうか

ただこの感想に関しては自分が“地元ではない”という条件のようなものが必要になるのでなかなか難しいかもしれません

 

それにまた違う土地に行けば違う印象を持つかもしれませんしね

あくまでも“そうなのかな”ぐらいの感覚です

 

少し距離をおいて職場内を俯瞰してみてはいかがでしょうか

今までと違ったものが見えてくるかもしれませんね

質問内容と全く違う答えが返ってくる人。今話している内容と全く違う話をしてくる人。

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誰かに何かを質問した時

複数人でとある話をしている時

 

なぜか全く関係のない話や

全く的外れな答えを返してくる人がいます

 

なぜこれが起こるのでしょうか

 

考えられる要因としては

  1. 相手が質問の内容を理解できていない
  2. こちら側の質問の仕方が悪く伝わっていない
  3. 話の流れを聞いておらず急に自分の頭の中にあった話をする

他にもあるかもしれませんがパッと浮かぶのはこれぐらいでしょうか

 

こうならないよう常に細かく話をするように心がけているのですが

それでも的外れな会話になることもあります

 

これはなぜなんでしょうか

色々と考えてみたのですがどうしても答えが出ません

何とか話を進めたいと思いあの手この手で話をするのですがなかなか思うように話が進みません

 

きっと僕の説明が悪いのだと思いいつも意識はしているのですが

なかなか難しいです

 

何かいい方法があればなぁと悩んでおります

日々頭を抱えて生きている

 

それが人生なのかもしれません

 

それが生きてるってことなのかもしれませんね

 

結局何が言いたいのかわからなくなってしまいました

暑さもあって少しバテ気味なのもあるのかもしれません

何とかお盆休みまで頑張りたいと思います

 

皆様もお体には十分ご注意ください