鳥と魚と僕とポーク

実るほど頭を垂れる稲穂かな

ある議員の発言がかなりエグい件について。

f:id:to-many-hopes:20221004081715j:image

 

Twitter乙武さんがツイートしてるのを見て思ったことがあったので、書いておきたいと思い机に向かいました。

 

愛知県の渡辺昇県議が、キューバ同性婚の合法化などの賛否を問う国民投票で賛成多数だったことを紹介したFacebookに投稿に対して、「同性結婚なんて気持ち悪い事は大反対」とのコメントを書き込んでいたそうです。

 

現在、コメントは削除されており閲覧することはできないのですが、取材に対して「あのようなコメントを投稿し悪かったと反省している」と発言しているようです。

4日の今日、抗議文の提出を予定している市民団体の関係者らと面会し、直接謝罪するそうです。

 

大阪公立大人権問題研究センター特別研究員で、自らもゲイの劉霊均(りゅう・れいきん)さんは「渡辺議員はわざわざ自分とは異なる主張のSNSの投稿者に近づいた上で、差別発言を繰り返しており、確信犯的で極めて悪質だ」と指摘しています。

 

今回の書き込みを知り、県議会や自民党本部、同県連などに謝罪や再発防止策を求める署名活動をインターネット上で始めたそうです。

「当事者を不快にさせたなどという問題でなく、人格権の侵害。愛知県が都市部でありながら性的少数者に関する意識や施策が進んでいないのは、政治家のこうした言説が背景にあるからだろう」と発言。

 

 

済んだことは仕方がない

f:id:to-many-hopes:20221004082237j:image

「終わったことは仕方がない」

「済んだことは仕方がない」

こんな言葉を耳にした事があると思います。

確かに物事によっては“仕方がない”部分もあります。

今回の一件も『Facebookに投稿してしまったこと』は仕方がありません。

 

僕が一番気になるのは、『その神経』です。

Twitterにも投稿しましたが、「同性婚が気持ち悪い」と“思う”ことは自由だと僕は考えます。

思想を否定することは誰にもできません。

 

“思う”ということと“発言する”とでは全く異なります。

 

Facebookという言わば拡声器になるような公の場でましてや県議会議員でありながらこういった発言するというその気持ちに怖さを感じました。

 

ツイートの内容からして弁解の余地はありません。

 

たまに言葉足らずの発言によって、受け取り手が拡大解釈や誤解して波紋を呼んだりなんてことがあったりしますが、今回の発言はそのようなことはなく、多分渡辺県議員の本心なんだと思います。

 

発言には責任を持つ

f:id:to-many-hopes:20221004122210j:image

先ほども言いましたが、政治家だろうが、大企業の社長であろうが、一般市民であろうが、『何を思うか』は自由です。

思考は個人の自由。

 

ただ、それを口に出すということはその言葉に責任を持つことも必要になると僕は思います。

 

軽はずみに口にした言葉や冗談で言ったことが相手を不快な思いにさせることは多々あります。

 

自分の感覚だけでモノを言うことは危険な行為だと思います。

共感する部分が多い人同士であってもやはり共感できない部分というものは存在するわけで、「俺はこうだ」というのを無闇に発言することはイコール無神経と考えます。

 

表現の自由だとか、リベラルだとか色々聞きますが、それでもやはりモラルというものは存在しますし、これだけ世の中が「差別をしないように」という流れが強くなってきている中で、なんとも無神経かつ稚拙な発言だと思います。

 

今後どのような流れになるのかはわかりませんが、自身の発言には十分注意してほしいと思います。

 

自分の発言には責任を持てるよう、考えた発言をしてほしいものです。