鳥と魚と僕とポーク

実るほど頭を垂れる稲穂かな

車椅子ユーザーと映画館の件

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Xにて車椅子ユーザーと映画館とのやりとりが話題になっています

 

ここで説明を書いても“それが誤解”に繋がっては困りますので詳しい内容はXで見ていただきたいと思います

今回の話題について

「これについてどう思いますか?」

と色々な人から聞かれましたので個人的な意見を書き残しておこうと思いパソコンに向かっております

 

車椅子の方がよく取り上げられるような気がしますが実際はどうなんでしょうか

僕自身が他の記事に気付いてない可能性がありますがそこはわかりません

 

とりあえず今回の車椅子映画館についてのみ考えたいと思いますが

 

ロリポップ!

ひとつめの意見としては

『車椅子ユーザーなんだから別に手伝ってあげればいいじゃないか』

という意見

障害者になりますからそこは健常者が障害者の方を手伝ってあげればいいというニュアンスになると思います

 

もうひとつは

『車椅子だからって何でも許されると思うな』

という意見

これは言葉そのままになります

 

どちらの意見ですか

と聞かれると本当に困りますよね

 

僕の意見としては

『車椅子だからって何でも許されると思うな』

です

とは言いましても“今回の件に関しては”という意味でこちら側の意見です

 

そもそも論になりますが

こういう議論って全ての背景が見えていないので“答えようがない”質問や思考だと思っています

 

車椅子ユーザー側からの配信しかなく

最後には映画館側が謝罪するという形になっている時点でもう「どう思いますか」と聞かれても本音としては「謝ったからいいんじゃない?」としか言えないというか

 

ただそういってしまうと身も蓋もないので

どちらかというと『車椅子だからって何でも許されると思うな』派です

 

というのも「今まで何度もその劇場に一人で見に行って映画館の人が手伝ってくれてたのに」という発言が気になりました

 

今まで何度も行って手伝ってくれてたのになぜか急に「今日でご勘弁」という言葉を告げられたわけです

ここに何かがあったのかなと感じます

 

  1. もし怪我をさせてしまったら
  2. 映画館の職員が男性で車椅子ユーザーの体に触ってしまったら
  3. 車椅子ユーザーの態度がとても悪かった
  4. 映画館の人手がかかり過ぎる

 

などこちらには見えていない情報が隠れていると思います

ただ先ほども言いましたが「手伝ってくれてたのに」という部分に“当たり前”感を感じてしまったので「当たり前だと思うな」と思いました

 

これは別に車椅子ユーザーや障害者だからではなく

「誰であっても」です

それは誰であっても関係なく当たり前だと思ってはいけないと思っています

 

これは子供の頃から親から教わってきたことです

 

前もやってくれたから今日もやってくれるだろう

と驕るなということです

一度自分の中で当たり前になってしまったことっていうのはどこかの時点で互いに良い関係ではなくなると思っています

(もちろん本当に互いが良いと思っている場合もあると思いますが)

 

どちらかが良い関係でなくなった時点でダメだと思うんですよね

そうならないために“当たり前だと思わない”ということが大切になるんじゃないかなと思います

 

今回の場合「今までいけてたのになぜか今日急に」というところから映画館側が何かをしたというわけではなさそうだなと感じました

そうなると車椅子ユーザー側が何かあったのかなと

 

まぁ色々と話題になっていますが

いつになっても無くなることのない論争だと思いますのであまり気にしないのが1番かなと思います

 

皆さんはどう感じましたでしょうか