鳥と魚と僕とポーク

実るほど頭を垂れる稲穂かな

「お笑い」ってやっぱり頭がいるなと感じた話

とても上から目線なタイトルを付けてしまいましたが「笑いを取る」という行為は関西圏の人であれば自然とそうなってしまうものかもしれません

それにただの素人が”お笑い”なんて言葉を軽々しく使っていいとも思いませんが今回の内容では便宜上”お笑い”という言葉を使って書きたいと思います

 

また関西圏の人がみんな笑いに対して貪欲かと言われればそういうわけではありませんので誤解のないようお願いいたします

 

しかし比較的”笑い”が好きということは変わりないのではないかと思います

会話の流れでもなぜかオチをつけたがる、オチを求めたがるものです

 

ただ単純にお笑いと言いましてもツボというものが存在しますし

僕みたいな素人がお笑いを語っていいわけではありません

ですが以前読んだ本に書かれていることと実際に感じたことがぴたりと一致した感覚がありました

 

以前読んだ本はこちらより

spawn.hatenablog.com

 

素人が簡単に手を出すものではないお笑いですが

一般人には一般人なりのお笑いというものが存在するように感じます

 

話が上手だったりオチがよくできていたりなどなど

 

ロリポップ!

ただ今日感じたことは

「言っていることが伝わらなければ面白くないということです」

 

これは見方によっていろいろと変化する難しい問題が含まれています

今日僕が体験したことを書きたいと思います

 

※文章にするとより一層面白くないので雰囲気だけ感じていただければと思います

 

今日職場に来客がありました

僕は誰が来るということを聞いていなかったので

入ってきた方に対して「いらっしゃいませ!」と深々とお辞儀をしました

すると同僚が「別にそんなことしなくてもいい」と言ってきました

 

別にそういう事じゃないんですけど

 

といった気持ちが溢れてきました

あの人だからお辞儀するとかあの人だからお辞儀しないとかそういう事ではなく

接客業でもないのに「いらっしゃいませ!」という面白さを狙ったつもりだったのですがどうやら伝わらなかったようです

 

後で聞くと来客は銀行の方だったそうで

「あの人たちも仕事でお金を貸しにきてるだけだからそんなことしなくてもいい」

という事を言われました

 

何とも驚愕の答えでした

 

そこで感じたことはお笑いって双方の基準値が同じであって初めて成り立つんだなと感じました

それに「空気を読む力」「この人はボケているんだ」という感覚を持っているかどうか

そういう部分でも大きく左右されるなと思いました

 

隣に上司がいたのですが「そうだよね~そこまでしなくてもいいよね」と言っていたので上司にも面白半分でやったことは伝わらなかったようです

本気で面白いと思ってやったわけではありませんし

「なぜこの面白さがわからないんだ!」という傲慢な気持ちもありません

ただ何気なく面白いかなと思ってやったことに対して”素”で返されたということがとてもショックでした

 

お笑いって賢くないとできないといいます

(僕が賢いという意味ではありません)

微妙な空気感やどういうお笑いなのかという感覚

ボケているという感覚を察知する力

そういうものが必要なのかなと思いました

 

少しでも職場が明るくなればいいかなと思ってやったことなのですが

まさか普通に言われるとげんなりします

 

いずれにしても空気感を読む力というものはどういう状況においても必要なのではないかなと感じました

空気の読めない人というのはなかなか馴染めなかったり

周りからあまりいい様に見られない場合もありますから

 

 

もう職場では笑い取ることを封印しようと決心した一日でした