鳥と魚と僕とポーク

実るほど頭を垂れる稲穂かな

間違えたところは✔️ではなく☆にする時代です

僕の時代からではとても信じられない時代がやってきています

時代は移り変わるものですから抗うことはできません

 

むしろうまく時代の波を乗りこなさなければ取り残されてしまうということさえ起きてしまいます

 

変化していくことはいいことだと思いますが

いい方向と悪い方向とがあります

 

小学校一年生の女子。知能の問題等は認められない。ある日のテストで「✓」が付いたため、家で泣いて困っていると親から電話が入る。「✓を付けないでほしい」という要求に対して担任が「✓」の代わりに「☆」を間違っている問題に付けるようにした。

その後、親からは「☆があるって喜んでいます」という報告が入る。

president.jp

 

今の時代はこういう時代になってきているようです

正しいことと誤っていることを明確にすることはとても大切なことだと思います

 

ネガティブな面を受け入れることができない子供たち

ということで自分の嫌な部分というかマイナスな部分と向き合うことができないそうです

 

”個性”が強く囁かれる時代ですが

本人がその個性を受け入れることができなければ個性を出すこともできないのではないかと思います

 

勉学というものにおいて正誤を明確にすることはとても重要だと思うのですが今の子供達はそうではないようです

「どこがあっていてどこが間違っていたのか」

理解度を測るためにも正誤というのはその指数としてとても重要だと思います

 

ですがそれを受け入れることができないとなるとなかなか難しいですね

 

ChatGPTを使ったライティングサービス「AI Writer」

テストの答案で✔️の代わりに☆とした場合

「ここが間違っていた」ということがぼんやりしてしまう気がするのですが

☆にすることで成績が伸びるのであればそれはそれでいいのかななんて思うのですがもし目を背けてしまっていた場合

学ぶべきポイントを有耶無耶にしてしまいかねないんじゃないかと

 

教師も大変です

一人の親御さんの意見で全ての生徒の答案を✔️から☆にしなくてはならないのですから

ルールや規則などもこういったマイノリティだと思われる被害者側の意見を優先して採用することになります

そうすると「何も感じていない人」までもがその基準に合わせる必要が出てきます

 

 

今回の場合とある女子の親の一言で

 

子供は可愛いということはよくわかります

ただあまり過保護すぎるのは子供の成長に影響を与える可能性もあるんじゃないかなと思うわけです

 

社会で生きていくためには強い心が必要になる場合が多いです

自分は地球の1ドットに過ぎません

 

1億2000万分の1ということになります

 

違う人間が1億2000万人もいる中で自分の思うように生きていける確率はとても低いと思われます

むしろ強い心を持てない方が思うように生きていけないのではないかとすら思います

 

人生100年時代と言われる現代

100年を生き抜くためには心が強くなければ豊かな人生を送ることは難しいのではないでしょうか

 

個人的にはいい人よりも嫌な人と付き合っていく確率の方が高いと思っています

 

そう考えると常に嫌なことにも向き合えるだけの強い心を持つことが大切なのではないかと思います

大人になってからよりも(できる範囲で)若いうちから心を鍛えておいた方が逆に後の人生が楽になるんじゃないかななんて思います

 

嫌なことから逃げ出すことは簡単ですがどこかでそのツケが回ってこないとはいえません

 

子供が悲しんでいる、悩んでいる姿を見るのは心が痛いと思います

ですがいい子になって欲しいと願うのなら「向き合うこと」も学校で学ぶ方がいいんじゃないかななんて思います