「幸せ」についてどう思いますか
- ご飯を食べている時が幸せ
- 音楽を聴いている時が幸せ
- 夫・妻・彼氏・彼女・家族と一緒にいる時が幸せ
- 友人といる時が幸せ
- ペットと遊んでいる時が幸せ
- お酒を飲んでいる時が幸せ
- 仕事をしている時が幸せ
人にはそれぞれの幸せというものがあると思います
幸せは人それぞれが独自に追い求めていくものだと思いますが
たまに「こうした方が幸せになるのに」だとか「寂しいならこうしたら幸せになるよ」的なことを言ってくる人がいます
露骨に”幸せ”というワードを使わなかったとしても
「可哀想(不幸せそう)」というようなニュアンスから幸せについてのアドバイスをしてくる人がいます
例えば「1人が寂しいならペットを飼ったらどうかな?」みたいなことです
今日は少し面白い記事を見つけたのでその記事を参考に考えてみました
とても面白い研究だなと思い読んでみました
僕の家にもペットがいますしペットを飼っている人は多いです
犬や猫、鳥を買っている人もいます
ペットは人間同様に愛情を持つことができる生き物だと思います
話はできなくても長い時間を共にしてきたことで感じる情というものが現れ
自分に甘えてくる様子が愛情へと変化するのでしょう
今回の研究結果では「ペットがいなくても人は幸せになれる」という面白い研究でした
結論から言いますと
『ペットとは別の方法で幸せになる方法を見つけている』
ということです
つまり”ペット”は必ずしも人を幸せにしているとは限らないということです
動物が苦手な人もいますしそれはそうですよね
ペットがいなくても体を動かすことで幸福感を感じる人だっているわけです
人は自分が満たされていて他人が幸せを感じていない時
『自分が満足しているものを押し付けようとする傾向にある』
と思います
最近でこそ言われなくなりましたが若い頃よく言われた言葉があります
「お酒飲めないなんて人生損してるな」
これは若い頃にかなりの確率で言われました
”お酒を飲めないと不幸だ”という感覚が一般的であり
体質的に飲めない下戸の僕は”不幸だ”という感覚です
もちろんお酒が飲めないことで不幸だなんて一度も感じたことはありませんし
僕からするとお酒を飲む人の方が不幸なんじゃねと思うことの方が多いと思っています
- 嘔吐
- 二日酔い
- 記憶喪失
- 迷惑行為
- 身体的病気
などなど様々な面倒なことを抱えている人がほとんどです
まぁそれはそれとして
何が言いたいかと言いますと
人は「自分に合った幸せの見つけ方を本能的に知っているのではないか」と思います
好き嫌いというのは人によって分かれます
嫌いなものを排除して好きなものだけを取り込むということもできます
そうすると自然と自分が好きだと感じるものを集めていくようになり
他人が幸せに感じているものと違うことであっても
そこに不平や不満というものは出ないのではと思います
人は誰でも自分の”幸せ”を考えて生きている
と考えると自分が幸せに感じているものを他人にお勧めすることはあまりにもありがた迷惑なのではないかなと思いました
自分は不幸だ
何かアドバイスをください
こう言われた時は色々とアドバイスすればいいと思いますが
勝手に相手を不幸に仕立て上げ余計にもこうしたら幸せになるぜなんて言える立場じゃないんじゃないかなと
人は誰もが皆幸せを求めて生きているでしょうし
すでに幸せを掴み取っている人もいると思います
自分の幸せの基準に勝手に当てはめて相手を分ける行為は良くないと思います
幸せの押し売りとでも言いましょうか
相手をもっと尊重してあげるという行為ができるように心がけていきたいなと感じた記事でした
皆さんはどう感じましたでしょうか