鳥と魚と僕とポーク

実るほど頭を垂れる稲穂かな

2024年幕開けから波乱の年になりそう。色々な意見や考え方があるけど

お正月から能登半島地震、航空気炎上、JR秋葉原刃物振り回し事件、北九州市小倉での大規模火災

何とも波乱の幕開けになりました

 

Xを見ていると色々な情報が得られるとともに心ないポストが目に付くのも事実です

 

何より怖いのは「間違った情報を流す」ということ

また「良かれと思ってした行為が逆に迷惑になってしまっている」ということ

 

  • 何が正しいのか
  • 何が迷惑じゃないのか

という線引きと言いますか明確なラインの見極めが難しいところではありますが

明らかに怪しいポストは信用しない方がいいと思います

 

「良かれと思って〜」ということに関しては

今○○の下敷きになっています
緊急連絡もつきません

助けてください


○○市○○町1−2−3
みたいなポストを「色々な人に拡散して少しでも早く救助されてほしい」という気持ちで拡散する方がほとんどだと思いますが
その拡散行為が実は”既に救助されている”にも関わらず拡散され続けていることで本当に大切なポストを見逃してしまう、埋もれてしまうというようなことになり
救助活動に混乱を招いてしまっているようです
 
僕も初めは様々なポストに目を通してリポストしていましたが
このポストを見てからはまず
  1. ポスト時間
  2. いいね数
  3. コメント欄の確認
  4. リポスト数

を見てからリポストするように変えました

 

まさか助かってほしい、早く救助がきてほしいと思ってとった行動が救助活動を混乱させてしまっていると思うと本当に心苦しいことです

 

また様々なポストがなされていますが危険な内容のポストも多数見かけるなという印象です

不謹慎な発言かも知れませんが恐れず言いますと

こういう状況の時にどういう発言をするか

でその人の本性と言いますか

その人がどういう人間であるかということがわかる気がします

 

とは言いましても

多様性と呼ばれる現代ですから「こういう人はダメだ」「こういう人間になってはいけない」という判断というのは自分の中に持っておくものだと思います

その自分の中にある人物像と照らし合わせて「自分はこういう人とは合わないな」ということを再確認すればいいのかななんて思います

 

20230623203647

世の中には色々なタイプの人がいて

その人にとっての正義は自分のとっての悪だったりということも普通に起こり得るわけでして

人間というのはなかなか奥が深い生き物であり言語を操ることができる知能を得たがために反発してしまうということも起こってしまいます

 
 
 
人と人とが純粋に助け合っていける環境ならいいのですが
実際はそうも簡単ではありません
反発するからこそ進歩や発展するということも事実ですから
 
ただ”何が最優先か”ということは間違えないようにしたいなと思いました
例えば昨日も書いたようなことになりますが
 
正月1日から大地震が起こるなんて絶対に何かある
明らかに自然現象で起きるなんて考えられない
だって正月に地震だよ?

人工的だとしか考えられない
その証拠に…
 
みたいなことがポストされています
このポスト自体は個人の自由ですから何も異論はありません
ただ「今じゃなくても良くないかな」と思います
まずは人命の救助が最優先であり
物資の運搬、救助要請者の確認、避難所の案内や指示などなど大地震の中で不安な気持ちで胸がいっぱいの状況の中で不必要な情報を流す必要はないかなと
 
もしかしたら自分はそういう経験をしたことがない方がそういう発言をしてしまうのかも知れません
 
人の気持ちがわからないからそういう発言をしてしまう
 
生きていく上で一番大切なものは”思いやり”なのかなと感じたお正月でした
未だ停電している地域もあるようです
 
いち早く救助が来ると共に必要な物資が届くことを願っております