鳥と魚と僕とポーク

実るほど頭を垂れる稲穂かな

「苦労は買ってでも」するべきなのか。時と場合、環境によりけり



今日Xを見てて思ったことがありましたので今回はそれを書きたいと思います

 

そのポストとはこちら

 

共感できる方できない方がおられるかと思いますが僕は“前者”です

というのも「苦労は勝手でもしろ」とか「忍耐力も必要」とかって必要以上にすることはないと思っています

 

年々鬱病をはじめとする精神疾患が増加傾向にある日本

 

約10年前と比べると60万人ほど増加しており毎年鬱病患者数の記録を更新しているようです

 

図録▽うつ病・躁うつ病の総患者数

アジア圏内でも中国に次いで2位という高い成績を収めております

(中国10分の1の人口で人口比率は同じ4%というのは少し怖い気もしますが)

 

いずれにしても年々増え続けていることに変わりはなくそれだけストレスが過剰にかかっている人が増えているということだと思います

 

確かに僕自身今でもかなりメンタルが危険な時があります

「これ以上行ったら壊れるな」という感覚といいますかなんか雰囲気といいますか

壊れる一歩手前という時が結構あります

 

昔の人は『苦労は美学』という

感覚を持っているため「楽して」という感覚がどうも気に入らないんだと思われます

人によって苦労の感じ方の度合いって違いますから一概には言えないのですが僕も僕なりに苦労を経験してきた身ではあります

 

確かにあの時ああいう体験をしたからあまり驚くことがないというかある程度のことには対応できるかなと思っています

 

ですがそれは「買ってでも」すべきだとは思いません

 

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『苦労は勝手でもしろ』の言葉の本質は

若い時は楽な道を選ばずに、敢えて厳しい道を選んで苦労を経験しましょう

大まかにはこういうことだと思います

 

僕の人生経験からでしかお話できませんが苦労をしたお陰で助かっている部分もあります

これは事実です

でも別に「わざわざ買ってまで」する必要はないんじゃないかなと思います

 

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人のものさしやコップなんてサイズが違うもの

誰かと同じものを持っていることなんてあり得ない訳です

『他人と違う武器、防具で同じ敵と闘うことはできない』

ということです

この言葉の一番怖いところはそこだと思うんです

「苦労は買ってでもした方がいい」

という言葉は“自分の経験談でしか語られない”というところです

少し暴力的ですがもっというならば

「俺が経験してきたようなことをした方がいい」

とも取れるわけです

なぜかというと

大体こういう思想をお持ちの方って

「いやそれぐらいは」という価値観で生きている人が多いからです

つまり“自分のものさし”を他人にも当てはめてしまっているということです

 

こういう人って他人が楽して成功するとか苦労せずに出世するみたいなことが許せないんだろうと思います

自分はこれだけ苦労してやっと手に入れたこの椅子なのに後輩が上司にかに入られて優遇されている、新しいプロジェクトにも抜擢されたという順風満帆というような生き方が許せないんじゃないかなと

 

僕自身の「苦労は〜」とか「忍耐力」とか「我慢強くなれ」とかそういうことを言われて育った時代の人間なので必然的に苦労させられてる感じもありましたが今の時代はそうではないと思っていますし元々僕自身「無駄に苦労する必要ない」という考えの持ち主です

 

何度も言いますがやっぱり古い思考の人というのが増えているので今の若い方達は辛いだろうなと思います

何かあれば「最近の若いやつは」的なことを言われたりもするでしょう

そういう時は「お前の若い時はどうだったんだよ」と心に思うと同時に適当に受け流せるなら受け流し、それが無理ならスパッと転職しましょう

 

「どこの会社に行ってもこういう人はいる」

 

なんて言葉も聞きますよね

確かにいると思います

1億2000万人もいるんですからむしろ自分と合わない人の方が多いんじゃない?と思うぐらいです

ですがこれもさっきと同じで『人によってものさしは違う』訳なので“受け入れられる人”と“受け入れられない人”の差というのは必ず発生すると思います

 

「どこに行っても〜」という言葉はそれを完全に無視するような言葉だと思ってしまいます

 

あなたには我慢できたかもしれない

でも僕には我慢できなかったから助けを求めたはずなんです

 

でもその助けのシグナルに気づかずに自分の価値観だけで物事を考える

これってどうなのかなと思ってしまいます

 

なんかダラダラ書いて申し訳ないと思いますが結局何が言いたいかと言いますと

『嫌ならやめろ』

です

 

ちょっとでも嫌だと感じたらやめろということではありませんので履き違えないよう

ある程度自分のできるところまでは我慢というか頑張ってみてそれでも「やっぱ無理だわ」と思うならやめればいいと思います

 

【やめる=逃げる】

 

みたいな式が自然と成り立ってしまっている日本だなと思いますが別に逃げたっていいじゃないですか

「逃げる」ことは「負け」みたいな風潮もありますが誰に負けたのか知りたいですよね

 

戦う土俵は一つじゃないです

その土俵からは逃げたかもしれないけど相撲から逃げたわけじゃない

それでいいと思うんです

 

誰になんて言われようと自分の人生を決めるのは自分だし自分の人生を歩むのは自分しかいない

他人があれこれ言ったってそれは所詮他人の言葉

他人であって自分じゃない

 

仕事の代わりはいくらでもあるけど自分の代わりは自分しかいないんです

 

自分が一番大切にしたいもの守りたいもの譲れないもの我慢できるものそれらを全て左右できるんです

布の服で無理やりボスを倒しに行く必要はないんです

だって人生はゲームじゃないんだから

リセットボタンはないですよね

 

自分の進みたい人生において立ちはだかる苦労というのは乗り換えるべきだと思います

それが自分の選んだ道にいる苦労ならば

ただ

 

苦労なんて買ってまでする必要ねぇ

 

と僕は思います

買ってまで苦労して体壊したら責任誰が取るんですか

最終的に全部自分に回ってくるだけですよ

自分の人生なんだからもっと大切にしましょ

 

 

な〜んて青二才が偉そうにいってみる

 

とにかく何が言いたいかと言いますと

自分を一番大切にしてあげましょうということです

 

明日からまた仕事が始まりますが適当にやりましょう

 

あわてないあわてない 一休み一休み