もはや周知の事実とも言える
「他人と比べる」という行為。
行為というか性というか。
他人と比べることで、いい競争が生まれるというメリット的な部分は大きいですが、“比べすぎる”というか「そこは比較しても仕方なくない?」という部分まで比べてしまうということは良くあることだと思います。
これは「競争」という社会で生きている上で仕方のないことだとは思うのですが、どうしても他人と比べてしまう。
「◯◯さんはこうしていた」
「◯◯さんがいたときは…」
「◯◯さんならこうする」
こう言った言葉を耳にした方も多いかと思います。
こういうことを言う人って基本的に現状に不満を抱いている人がほとんどだと思うんですよね。
よく言う「昔は良かった」と同じニュアンス。
これって色んな要因が絡んでくる話ではありますが、現在を見つめられない人だと思うわけです。
過去に囚われてばかりで、現状でどうにかしようと考えない人がいうんじゃないかなと。
前にも書いたと思いますが、自分と感性が似た人はいたとしても全く同じ人は一人としていないわけです。
つまり、誰かと全く同じことをすると言うことはほぼ不可能に近いわけで。
同じようなことをするにしても、その人なりのやり方や方法があると思うんです。
それを誰かと同じようにやるというのは結構乱暴な発言なんじゃないかなと個人的には思います。
こういう人は自分とやり方や感性が近かったからやりやすかったという印象が強すぎて過去にしがみついてしまっているとこう思うわけです。
「他人と比べる」という行為は“自分自身”がすることで第三者が他人同士を比べるのはどうなのかなと。
自分が誰かと比べることでよりステップアップできるならいいのですが、逆にメンタル的に落ち込んでしまう人もいます。
そういう人は「比べる対象」が間違っているんじゃないかなと感じます。
自分と対等ぐらいの人と比べないと比較対象として合ってないんじゃないかなと。
統計でもそうですけど、正しい対象のデータを取らないと正しい統計は取れないと聞きます。
それと同じで自分とかけ離れた人と比べても自分を卑下してしまうだけだけになってしまうと思います。
それでメンタルが参ってしまうならいっそのこと比べない方がいいと思うんですよね。
良く裕福な家庭とそうでない家庭の人を比べられるのを見かけますが、それってあまり意味がないんじゃないかなと。
自分は裕福でない家庭に育ったから…とか聞きますが裕福でない家庭に育った人でも成功している人はたくさんいます。
あのソフトバンクの孫正義さんも佐賀県の朝鮮人集落で育ったと聞きます。
豚や羊と一緒に生活する非常に貧しくて不衛生な環境だったそうです。
ですが、ソフトバンクを築き上げた訳ですから生まれた環境がどうか。はあまり関係なくてそこから自分がどうなりたいか、どうすべきかと言うことを最優先に考えるべきなんじゃないかなと思うんです。
誰かと比べて自分の人生が辛くなるなら誰かと比べるのを止めるといいと思います。
言うは易し行うは難し
ですけどね。
でもやっぱり自分の人生が最優先だと僕は思います。
もしどうしても比べたくなってしまうなら、「過去の自分」と比べてみるのはいかがでしょうか。
『自分は自分』という気持ちを持つことも大切だと思います。