上辺だけと言いますか表面的と言いますか。
物事に対して一方の側面しか見ていない。または見えていない人って可哀想だなぁと思うことがあります。
その側面が正しいのではあれば別にいいのですが、全く間違った方向にいってしまった場合はとても切ない気持ちになります。
真実を伝えた時にどう捉えるか。
というのも重要です。
「間違えていますよ。本当はこうですよ。」
と伝えた時に、「そうか。それが正しいのか。」と素直に受け止める人なら問題ないのですが、もし「いや、そうじゃない。こっちが正しいんだ。」と自分の意見を押し通そうとする人は要注意です。
自分の意見を持つことは大切です。
ただ、自分の意見を持つということと意見を曲げないということは別です。
(もちろん間違った意見を。という事が前提です。)
表面的な部分だけみて物事を判断するということほど軽率な行動はないと思います。
車の免許をお持ちの方はこういう言葉を聞いた事があるかと思います。
- だろう運転
- かもしれない運転
車を運転するときは「だろう運転」ではなく、「かもしれない運転」を心掛けよう。
なんていうことを聞いた事があると思います。
「人は出てこないだろう」
「前の車が避けるだろう」
ではなく
「人が出てくるかもしれない」
「前の車が直進してくるかもしれない」
そう考えることで運転に気をつけようということです。
先ほどの話もこれと同じ事が言えると思います。
「こうだろう」と頭ごなしに決めつけてしまってはそれしか見えなくなり別の方法や思考ができなくなってしまいます。
そうならないためにも「こうかもしれない」と考えられるような思考を持ちたいなぁと思います。
口で言うほど簡単じゃないんですけどね。。