鳥と魚と僕とポーク

実るほど頭を垂れる稲穂かな

柔軟な発想ができる人とそうでない人。どこに違いがあるのか考えてみた。

ようやく一週間が終わりました。

今週は何となく早く感じました。

明日は休みだと思うと気分的に楽ですよね。

 

最近仕事の話ばかりしてしまいがちなのですが、今回も仕事に関するお話をしたいと思います。

何事に対しても柔軟な対応が求められる状況ってあると思うんですよね。

 

ここでいう柔軟な対応というのは、周りの意見を聞いて最適な結論を出す。

ということを意味するのですが、言い換えると人の意見を聞かない人というのはワンマン的な行動をとってしまいがちであり、出した答えが的確であったかという判断が難しい部分がありますよね。

 

最終的に決定を下すのは自分だとしても、第三者の意見を聞いて判断材料を増やすという事はとても大切なことだと思っています。

 

自分だけの知識や経験って大したことないじゃないですか。

確かに経験や知識が多い方が何かの決断をするときに有利に働くことの方が多いとは思いますが、必ずしもその選択が”正しい”とは言えない部分も出てくると思います。

くわしくはこちら

 

ある決断が他人から見れば「こうした方がよかったんじゃない?」と思う事って結構あると思っています。

もちろん正しく的確な判断であることも多いのですが、やっぱり自分の中にしかない情報や知識だけで判断するよりも他人の意見を聞いてみて自分の中の情報を増やすという作業もとても大切になると思っています。

 

自分の持っている答えと、他人の持っている答えがほぼ一致するなら自分だけの答えよりも「より正しい」確率は上がるわけですからね。

 

ワンマンな人とはどういう人なのかしら

中にはワンマンと呼ばれる自分の判断だけで物事を決める人というのは一定数いると思います。

そういった人と他人の意見を聞き入れ柔軟な発想や対応ができる人との違いはどこにあるのか。

というのを”完全に個人的感覚”で考えてみました。

 

自分に絶対的な自信がある

まず自分に自信がある人だということ。

一番初めに思いつくのはこれだと思います。

 

自分に自信があるから自分の決定は正しいと思い込んでいるということ。

経験が長い人に多い傾向にある気がします。

ずっと同じ場所に居続けるからそこでの経験はとてもあり、細部まで知っている。

しかし逆にその環境に慣れすぎてしまい「井の中の蛙感」が出てしまっているところもあると思います。

何事も慣れというのは大切ですが、その慣れに対しても疑問を持つことも時に必要だと思います。

 

 

プライドが高い、負けず嫌い

これは印象ですがプライドが高い人というのも柔軟な発想ができない人なイメージです。

自分に自信があると少し似ている部分がありますが、プライドが高いということと負けず嫌いということ。

もちろん両方いいことなのですが時に邪魔になってしまう場合もあると思います。

プライドは持っている方がいいですし、競争社会において負けず嫌いということもとても重要ですが、そのせいで正しい判断ができなくなってしまっているとしたら逆に問題点になってしまう可能性もあるのかなと。

 

 

外に目を向けない

双眼鏡

自分の身近な環境しか見ていないといいますか、多方面のことに関心がないといいますか情報不足と言いますか。

少し形容しがたい感じはあるのですが、極端に言うと「視野が狭い」という感じでしょうか。

好きなことしか見ないといいますか、興味のあることばかり情報収集をしていて興味のないものは全くの無関心。

やっぱり好き嫌いなく色んなものを見る方が発想力としてはかなり上がると思います。

 

無理やりやる必要はありませんが、嫌いなことでも挑戦してみるぐらいの気持ちの方が自分の視野を広げるという意味ではとても大切だったりします。

自分が我慢できる範囲でやりたくないことをやってみるというのも時にはいいんじゃないかなと思います。

 

 

柔軟な発想が大切になる世の中

World in the eyes

今世界はどんどん進化しています。 

「屋外で使える無線電話」という部分も含めていくと、世界初めて携帯電話が登場したのは1946年。

今から77年前になります。

 

わずか80年弱の間にここまで時代は変わりました。

これからさらに変化や進化の速度は加速するかもしれません。

僕の時代では当たり前だったことが、今では差別的や虐待的な行為として違法行為や禁止行為のように取り扱われています。

それぐらい時代は変わっているわけでそんな時代を生きている以上、自分も変化をしないと周りについていくことはできず置いてけぼりをくらうわけです。

 

いつまでも過去のもので対応できるはずもないですし、自分だけの経験や知恵で解決できるという時代でもなくなってきていると感じています。

「他人に聞くのが嫌だ」という人をたまに見かけますが、それではこれからの未来を乗り越えていくことは困難なのではと思ってしまいます。

 

これまで話をしたような”柔軟な発想ができない人”というのはどこか「自分は大丈夫」だとか「自分は関係ない」という感覚をお持ちなのかなと思ってしまいます。

とても偏った思想や意見を持っていることは、これから先の世界にとっていいことは一つもないんじゃないかなと思います。

「そういう発想もあるのか」

「こういうのはどうかな」

という複数の引き出しを持てるかどうかというのがこれからの未来を乗り越えていけるカギになるのかなと思っております。

 

今日は何となく変なスイッチが入ってしまった感じなので、一気に乱文を書いてしまいましたがご勘弁ください。

 

それではおやすみなさい。