鳥と魚と僕とポーク

実るほど頭を垂れる稲穂かな

『“勉強ができるできない”と“頭が良い悪い”はなぜイコールにならないか』を勝手に考えてみた

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久々に“勝手に考えてみた”ことを書きたいと思います

タイトルのままなのですが

よく『勉強ができるのと頭がいいというのは別』という言葉を見聞きします

他にも似たような言葉で

『勉強ができると仕事ができるは別』

というのもあります

正直僕自身もそう感じる時もあります

 

なぜなのでしょうか

 

まず僕は高卒です

お金がなくて大学に行けなかったというような優等生ではなく

ただただ頭が悪すぎて行ける大学なんてなかった

というような人間です

学生生活でいちばんの最高得点は生物の70点です

それも一度だけ

それ以外の科目は基本的に赤点と呼ばれる点数しか取ったことがありません

 

そんな僕が勝手に考えてみただけなのでこういうやつもいるんだなぐらいに読んでもらえたらと思います

 

それでは本題に入りたいと思います

 

勉強をするということは基本的に脳を使うトレーニングになると思っています

授業で先生の話をしっかりと聞いていないといけません

先生が話した内容をノートに取ることもしなくてはいけません

点数を取るためには予習や復習などをし覚えるものは覚えなければなりません

 

 大学に行かれた方からするとどう思われるかわかりませんが勉強から逃げてきた僕の勉強のイメージはこんな感じです

 

いずれにしても頭を使うはずだと思うのですが

なぜ頭の使い方が上手くない(頭の良くない)人が出てくるのでしょうか

 

国語という科目があります

これは文系理系に関係ない科目です

では国語とは何を学ぶのでしょうか

 

文部科学省のサイトを見てみると

個人にとっての国語が果たす役割は

以下に示すように

「知的活動の基盤」

「感性・情緒等の基盤」

「コミュニケーション能力の基盤」

として生涯を通じて個人の自己形成にかかわる点にあると考えられる。

これからの時代に求められる国語力について−I これからの時代に求められる国語力について−第1 国語の果たす役割と国語の重要性

とあります

人生を送るためにとても重要な科目であることはお分かりいただけると思います

 

この内容からすると

コミュニケーション能力といった社会で必要なものを学ぶことになるのですがしっかりと学んでいるはずなのになぜか高学歴でもコミュニケーション能力が低い人が存在します

 

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大学生活でも人間関係を構築するために様々な人と接する機会があると思うのでコミュニケーション能力というのは自然と身につくのではないかなと思うのですがそうでもないようです

 

そもそも勉強をするということは良い点数を取るということも一つの要素だと思いますが

頭の使い方を学ぶということを学ぶことも要素としてあると思います

しかしなぜかあまり賢くない人が存在するのはなぜでしょうか

 

僕が考えた結論なのですが

勉強と社会を結びつけることができていないのではないかと思います

勉強は勉強

社会は社会

という風に切り分けて考えてしまい同じ線上にあると考えられないのではないかと思います

だから「勉強ができても〜」というような発言が出てくるのではないでしょうか

 

冒頭でも書きましたが僕は大学に行くことすらできなかった頭脳の持ち主なので大学がどういう所でどういうことをするの場所なのかは全くわかりません

 

大卒の人に話を聞いたりするのですが

「大学では遊んでただけ」

「大学は遊びにいくところ」

なんてことを言われたりします

 

遊びに行くためにわざわざ高い授業料を払っているのかととても疑問に思います

 

大卒というバッジを得るために行くだけなら早めに社会に出て色々と社会勉強をした方がいいのではと思います

 

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頭の良さとは遺伝と環境と半々だそうです

つまり遺伝的に頭が良くなかったとしても後天的に伸ばすことができると言えます

 

実際に勉強ができて頭の良い人はたくさんいますし勉強はできないけど頭の良い人もいます

後天的に頭をどう使うかということが重要な部分なのかなと思います

 

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勉強というと国語や数学や社会といったような学業のことだけをイメージしがちですが

社会に出れば日々勉強という言葉もあるようにただ学業だけではなく大きな範囲での勉強として捉えることが大きなさになるのかなと思います

 

長くなってしまいましたが

結論としては

『勉強と社会を同じ線として結びつけられない』

ということなのかなという個人的な見解になりました

 

皆さんはどうお考えでしょうか