他人のものを利用して自分の利益を得る
そういう人が一定数いるように思います
確かに誰かが構築したり集めた情報というのはとても便利ですし効率的に仕事を行う上でとても重要だと思います
ですがそればかりに頼りすぎてしまうと
いつまでも自分の能力として身につかないと思います
確かに楽をして仕事を進める方が効率的ですし生産的かもしれません
しかし「なぜこうなっているのか」「なぜこうしているのか」というようなその物の中身を理解せずただコピペしているだけではなんの意味もないように思います
僕の業務は特に過去のデータが重要でこれまで先輩方や上司たちが残してくれたデータがとても重要です
ですが「なぜこうなるのか」「なぜこのデータになるのか」というようなことを理解した上で使わなくてはいつまで経っても自分の知識や能力として見になりません
そういう完全に人の褌で相撲を取る人は少し変数をいじってしまうと対応できなくなってしまいます
そうなると結局データを理解している人に答えを聞いて業務を進めるということになり他人の手も止めてしまうということになります
結局1人で仕事ができない人
になってしまい自分で仕事をすることができず
仕事を任せられないという何とも無駄な人間になってしまいます
本人は効率よく仕事をしようと思っているのかもしれませんが他人の力がないと仕事を進めることができません
そうならないためにも自分の力を付けることが何より最優先だと思うのですが
「如何に楽に仕事をするか」
に重きを置いている人がいます
確かに楽に仕事ができるに越したことはないですが人に教えてもらって仕事を進めるよりも自分で解決する方が早い場合の方が多いと思います
(もちろん状況や内容によります)
いつまでも誰かの力を借りなければ仕事ができない、進まない人はそのうち相手にされなくなるでしょう
どんな仕事でも言えることだと思いますが
自分でできる力をつけることが自分の財産になると考えます
“何でも自分でやる”ことがいいというわけではなく
“何でも自分でできる”ことはいいことだと思います
自分でできることが増えれば他人に仕事をお願いする時にも的確に指示を出すことができます
「ちょっと忙しいのでこれお願いできますか?」と丸投げするのではなく
「ちょっと忙しいのでこうしてこうしてこうしたらできるからお願いできますか?」
とやり方を伝えた方が相手も嫌な気持ちになる確率は低くなるのではと思います
人の褌で相撲を取ることが全ていけないとは思いません
やはり時には効率も大事だと思いますから
ですが
「人の褌で相撲を取る」
のではなく
「自分の褌で相撲も取れるけど人の褌を借りよう」
の方が自分にとってもいいですし人間関係も壊れにくいのではないかなと思います
何でも楽しようとせず時には茨の道を進む方が自分にとって良い道に進む場合もあるんじゃないかなと思います
皆さんはいかがでしょうか