鳥と魚と僕とポーク

実るほど頭を垂れる稲穂かな

欲しいものに対してどこまで妥協できるか。自分を知ることで必要のないストレスは減らせるかもっていうお話。

ドミノブロックを止める手  

奥さんが米びつを新調したいと結構前からずっとつぶやいているのですが、なかなか気に入った米びつに出会えず、購入を先延ばしにしています。

 

僕としては「たかがお米をいれるものになぜそんなにこだわるのか」という疑問がいつまでも拭えないのですが、“女性は”なのか、“性格”なのかは定かではありませんが、気に入らないものを使いたくないというのが奥さんの気持ちのようです。

 

妥協ポイントって人によって様々ですよね。

「なぜそんなにこだわるのかわからない」

「なぜそこをこだわらないのかわからない」

と人によって“こだわる”ポイントは違います。

 

どこで妥協できるかって結構難しいなと思いました。

妥協って言葉はあまり良い印象はありませんが、人生って妥協の連続だと思う部分もあるんですよね。

物事って思うように進まないことの方が多いですから。

 

どこまでは許せて、どこまでは許せないか。

 

ここの線ってプライベートだったら自分で決めるだけで済みますけど、仕事となればまた話は別です。

 

そう考えるとある程度の「妥協点」というものは自分の中で持っていなければならないなぁと。

自分はどこまで妥協できるか。

というポイントを自分が知らなければいつまでも前進することができず、モヤモヤを抱えたまま過ごすことになります。

 

そう考えると、妥協できない奥さんは結構大変な生き方をしてるなぁ。と思いました。

妥協しない分、納得のいくものが手に入った時の達成感的なものは倍嬉しいんだとは思うのですが、そこに出会うまでにかなりストレスが溜まるのではと思ったり。

 

もちろん奥さんも全てにこだわりが強くて何事にも妥協ができない人ではないのですが、一つをこだわってしまうと連鎖してしまうという部分を持っていたりします。

 

まぁそれはひとそれぞれあると思いますので、当然と言えば当然だと思います。

 

何が言いたいかと言いますと、「己を知る」ということです。

今回の“妥協点”に関しては、自分を知ることで無駄なというか変なストレスを抱えずに済むのかなと。

 

自分がどういう人間かを知ることって色々と役に立つのでとても大切なことだと思います。というお話でした。