鳥と魚と僕とポーク

実るほど頭を垂れる稲穂かな

「挨拶をしない自由」とても現代風な話題に歓喜

少し前から「挨拶をしない自由論争」が話題になっています

とても現代風な話題で面白いなぁと思いながら見ております

こういう人がどんどん出てくるとなぜか嬉しくなってしまいます

 

色々と個人の自由というものが囁かれていますが

どこまでが自由かというのはなかなか難しいものです

 

『自由を手にするには責任が伴う』

 

といった言葉があります

これはこれで色々と考えを持たれる方が多いと思いますが

挨拶をしない自由というのはこれに当てはまる部分もあるのかなと思います

 

動画で話をしていたのは20代男性

社会人一年生というような年齢なのでしょうか

まだまだこれから社会を知っていくという感じなのでしょうがスタートを切ったばかりで

「挨拶は自由だ」というのはなかなか尖った思想の持ち主だなと

 

ただこれに共感してくれる人がどれだけいるかというところも気になります

 

まぁ個人の自由を尊重しようという部分も強くなってきているので否定はしませんが

社会人生活が苦労しそうだなとは思います

少し調べてみましたが挨拶をしない国というのはほぼないそうです

ということはほとんどの国は挨拶をするという文化があるので日本だけじゃなく世界に行ったとしても通用しにくいのではと思います

 

企業で働く側の場合挨拶自由というのは難しいのではないかと思います

 

自分で起業して自分の会社の社則というか会社のルールとして

「挨拶なし」だとか「挨拶は自由」

ということなら話はわかるのですが

雇われている以上その会社のルールというものがあるわけでして

さすがにそれを「個人の自由だ」というだけで押し通すのは少し難しいのかなと

 

中には「パワハラだ」とか「モラハラだ」というようなことを感じる方もおられるかもしれません

もしかすると個人を尊重しないという新しい『〇〇ハラスメント』というものが登場するかもしれません

(僕が知らないだけでもう存在しているのかもしれませんが)

 

先ほど「自由には責任が伴う」という話をしましたが

挨拶をしない自由を突き通すのであればその分の成果や結果というものを提示する必要があると思います

 

例えば営業職だったりすると取引先の方に対して

「僕は挨拶しない自由を選択しています」

というような話をした上で相手と商談なり交渉をする必要があると考えると

かなり不利になるのではと思います

ましてや一般社員だった場合

取引先からのクレームや苦情の電話があった場合どうしましょう

 

会社の信用を著しく傷つける行為に近いのではないでしょうか

 

そうならないように自分で取引先の方にきちんと話をつけて納得してもらう

そういう意味での責任というものは発生するのかなと思います

 

確かに個人の自由を発言することは大切だと思います

今一人一人が尊重されるべきだという時代になってきていますし

僕自身とても素晴らしいことだと思います

 

ただ”全て”が個人の自由ではいけない

社会は自分一人で生きているわけではありません

必ず誰かと一緒に生活していくものです

そう考えるとなんでもかんでも自分の自由を主張するというのは自分勝手ということになるのではないでしょうか

 

イチロー選手の名言の動画がありましたので載せておきます

皆さんはこれを観てどう感じるでしょうか