今朝とある番組を見ていて思ったことがあります
普段の生活でも感じていたことだったと思うのですが番組という媒体から客観的に見ることができたことで気づいたことです
誰かが話をしているときに最後まで聞かずに遮ったり
話を最後まで聞いたけど否定したり全く意図が伝わっておらず的外れな質問をしてきたり
いろいろな人がいます
そもそも話す側の上手い下手というものが大前提にありますので
聞き手の解釈がずれていたからといって「頭の悪い人間だ」とは思いません
話がうまく伝わらないのであれば話をうまくなるよう努力する必要はあります
僕が見ていたある番組では
『一般的に賢い』と呼ばれる人が話を聞くのですが誰も「それはどういうことですか?」という質問をあまりしないんですよね
(全ての番組を見たわけではありません。”僕が見た番組では”という意味で解釈して守らればと思います)
一方的に「何が言いたいのかわからない」だとか「それじゃ伝わらない」だとか
ひどいものだと話の序盤ではかなり否定していたり罵ったりしていたのに
色々と話を聞いて理解してくると「なんだ!そういうことか!」という雰囲気になり「初めからそういう風に説明しないと伝わらないじゃないか!」と謎の叱責を受けたり
こういうのを見ていると「この人話があまり上手くないな」と感じたらこちらから話を引き出してあげるという行為も多少は必要なんじゃないかなと思うわけです
でないと話す意味ってないんじゃないかなって
勝手に自分で「こういうことだ」と解釈してしまって話を進めていくなんて愚行としか思えません
「賢い人」というのはきっとどこかに自惚れというものが存在していると思っています
裏返せば自信につながるのでとてもいいことだとも思います
しかし自惚れというのは愚かな行動や言動をしてしまうリスクが潜んでいると思います
自惚れている人は同時にプライドが高い人も多く自分の非を認めるとは少ない傾向にあります
話が逸れてしまいましたが人の話を聞かずに(理解せずに)相手を否定するのは本当によくありませんよね
なぜ質問をしないのでしょうか
「これはこういうことですか?」
「それはどういうことですか?」
「これはどういう意図で言っているのですか?」
なんでも質問すればいいと思うんです
もし相手が話している意図と内容、そして伝えようとしていることが聞き手側とずれてしまっていてはなんの意味もありません
仕事の話だと尚更です
『相手に伝わるように話せ』
なんていう言葉を耳にします
先ほども書きましたがそれももちろん重要なことです
しかし「わからないなら質問してこいよ」という話す側の気持ちも考えてあげることも重要だと思います
そもそも相手を気遣うという思いやりの気持ちがないからなんでも他人のせいにしてしまうんじゃないかなと思います
みんな別の人間なんです
全ての人があなたに合わせられるはずがないんです
逆からみるとあなたの方が外れているんです
なんてことを思われないように互いに配慮し合うことが人と人との付き合いには大切なんじゃないかなと思います
自分の基準に満たしてないから君は僕より下だ
というのは傲慢の何者でもないのではないかなと思います
いつどうなったとしても謙虚でいる気持ちを忘れてはいけないと思いました