ああしたい、こうしたい
本当はこういう感じがいいのに
誰でもそういう気持ちは持っていると思います
自分が思っていることとは裏腹に現実は残酷だとつくづく思います
本当はこういう風に生きたい
本当はこういう風に過ごしたい
と思ってはいますが現実は思うようにいかない
そういうことって多いですよね
自分に原因があるのか
周りに原因があるのか
それはどちらとも言えません
自分がそうしてしまっている部分があるかも知れませんし周りからそうされてしまっている部分もあるかもしれません
ただこの残酷な現実で生きていくしかありません
残酷な世界だとは思いますがその残酷な世界を作っているのは自分かも知れないという感情が残っている以上
その現実と向き合っていくしかないのかなと思ったりもします
よく他人は変わらない
周りを変えたいならまず自分から
なんていう言葉を耳にしたり見たりしますが
僕的には「諦めて自分が変われ」と言われている気がしてあまり好きではありません
周りを変えたいという感情はありません
僕は僕であなたはあなただから
ただ『必要以上に僕に干渉しないで欲しい』とは思います
良かれと思って寄ってくる人がいますが変に距離感を詰めすぎると余計な感情(私的なという意味が近いかも知れません)が出てきてしまい何かあった時にその人に対して贔屓してしまう可能性が出てしまいます
もちろん僕自身の甘さがそうさせるのかも知れませんが
そうなるかもしれないとわかっているからこそ適度な距離を保ちたいと思うのですがそれが伝わらないというか理解してもらえないというか
何かに口出ししたいという感情を持っている人がいます
”目に余る”場合の口出しは当然ですがそれ以上に関与しようとしてくる人
自分の思い通りにならないということが気に入らないのか
コントロールしたいという感情があるのか
マウントを取りたいと思っているのか
理由は何かは分かりませんがちょっとしたことにも口出ししてくる人は少し苦手です
理由としては「僕自身」が否定されたような気がするからかもしれません
単純に僕がひねくれているのかもしれません
ですが僕のこれまでしてきたことが全否定されているような気がして
そういう気持ちを持たないように努力したこともあるのですが改善することはできませんでした
無理に自分を変える必要はない
なんていう言葉も聞いたことがありますが社会でやっていくためにはどうしても自分を押し殺さなければならない場合も多々あります
僕の好きな漫画で「セトウツミ」という漫画があります
ドラマや映画にもなった作品なのでご存知の方もおられるかも知れません
その作中でとても好きな言葉があります
「心配せんでも それなりにみんな それぞれ不幸やから」
自分だけがそう感じていると思っていることは自分だけじゃない
僕だけが悩んでいると感じてしまいがちですが実際は誰だってみんなちょっとずつ不幸を背負っている
そういう風に感じる言葉です
もちろん何一つ不満がない人というのもいるかもしれません
しかし世界で半分以上の人は何かしら不満を抱えているのではないかなと思います
そう
ここで僕が不満をたらたら書いたところで「お前だけがそう感じてるんじゃねぇよ」「被害者ぶってんじゃねぇ」と言われるかもしれません
人は誰しも”結局自分のことしか考えていない”生き物だと思います
もちろん思いやりなんていう言葉がありますが相手を思いやれる時というのは自分の気持ちにゆとりがある時なんじゃないかなと思います
誰かを思いやれない
不満を感じてしまう
そういう時はきっと心にゆとりがなくなっている証拠なのではないかと思います
「基本的に物事は思うようにいかない」
そう割り切って生きることができれば少しだけ楽になれるのかなと思った1日でした
寒い日が続きます
体調崩されないようご自愛ください