日々何かしらのことで誹謗中傷が起きている世の中です。
誰かのことを叩くという行為は聞いていても見ていても気持ちの良いモノではありません。
先日も記事にしましたが、誹謗中傷というのは自分以外誰も満足感を得られないということだと思っています。
先日のryuchellさんの逝去に関してホリエモンこと堀江貴文さんがこうコメントされていました。
「自分の胸の中にしまっておけ、とは言わない。ストレスかかるんだったら誰かに言え。だけどネットに書くな。陰口っていうのは本来そういうものなんですよ。
こうおっしゃられていました。
堀江さんのこの意見には僕も賛成です。
ネットにこういうことを書く人って根本が“承認欲求の強い人”なんだと思います。
周りから認められたい。
自分は価値のある存在だ。
そういう願望のことを心理学で承認欲求と言いますが、自分の発言を他者から認めてほしい。賛成意見がほしい。そんな気持ちが強い方なんだと思います。
確かに自分の存在意義ってなんだろう。
自分は本当に必要なのかな。
などと思う瞬間てあると思います。
対人関係がある以上「他人からの評価」というものは気になって当然です。
自分の意見に共感してくれる。
賛成意見が多数いる。
こういう感情を優先してしまう人というのは寂しい人だと僕は思います。
どこの世界でも他人を悪くいうという所謂”悪口”や”陰口”というものはあります。
これに関しては無くならないものだと思います。
誤解を恐れずにいいますが、誰かの悪口をいうことでストレス発散できているという部分も少なからずあると思うからです。
ただ、それを誰にでも見れるSNSに書き込むという行為は不要な行為だと思います。
堀江さんも「言うな」とは言っていません。
言ってもいいけれど、友人同士で言う程度にしておけ。と言うことだと僕は解釈しています。
それには僕も同意です。
誰にだってイライラしたり、ストレスが溜まることはあります。
社会で生きていくと言うことは同時にストレスを抱えると言うことにつながります。
ただ、その不満を誰でも自由に見ることができる媒体に書くと言うことはいけない。
堀江さんもおっしゃっていたように、本人が見ることができるため深く傷つけてしまうことになります。
そういう物事の裏側まで想像ことができない人だから誹謗中傷を書くんでしょうけど、基本的に何でもそうですが、「自分一人ならバレない」とか「自分がやらなくても誰かがやる」というような気持ちを持っている人が一定数いるので、無くならないでしょう。
誰かを傷つけてしまうと言う気持ちがわからない人にはならないよう気をつけていきたいものです。
自分の言いたいことを言う。
という美学と言いますか、スタンスがあります。
特に現代はそういう「個性を大切に」と言うような流れになってきている部分もあります。
確かに自分の意見、主張を持とう。と言う姿勢はとても大切だと思います。
他人に流されず、自分の意見をはっきり言う。
そういう姿勢は持つべきだと思いますが、その自分の主張だからと言って『何を言ってもいい』と言うことにはならないはずです。
何でもかんでも言いたい放題言ってしまうのは分別できないバカと同じだと思います。
誹謗中傷がなくなることはないと思いますが、少しでも減ればいいなぁと思う日曜の正午です。