鳥と魚と僕とポーク

実るほど頭を垂れる稲穂かな

人を呼ぶときは「さん付け」という新しい校則ができているそうです。いよいよわからなくなってきた。

小中高となんて呼ばれていましたか?

 

佐藤さんなら「さとやん」とか「さとちゃん」とか

後藤さんなら「ごっちゃん」とか

 

まぁ地域や年代によっても変わると思いますが、いわゆる”あだ名”というものが皆さんあったと思います。

 

もちろん、今でもあるとは思いますが、そのあだ名が良くないという風潮が以前から出始めているようで。

 

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一番の理由としては

クラスメートを「あだ名」で呼んだり「呼び捨て」にしたりせずに、「さん付け」するように指導する小学校が増えている。身体的特徴を 揶揄やゆ するようなあだ名は、いじめにつながるケースがあるからだ。

と記されています。

確かに、身体的特徴やある一つの行動をとってしまったがために、それにちなんだあだ名を付けられるという事もありました。

 

僕が小学生の時は、学校でトイレ(大きい方)をするという事がかなり「かっこ悪い」みたいな感じでしたから、学校でトイレをしようもんなら速攻で「ウンコマン」というヒーローのようなあだ名が付きました。

 

とは言っても、一定期間を過ぎると元のあだ名に戻るのですが。

ちなみに僕も”元ウンコマン”です。

 

今思うと僕は一体何代目のウンコマンになるのか数えておけばよかった。

 

 

 

あだ名は関係性が一番大事

少し脱線しましたが、あだ名というのは相手を呼ぶための手段の一つともいえるような気がするわけでして。

中学校の時に、「にょい」と呼ばれている同級生がいました。

小学校は別の学校だったので、「にょい」というあだ名の由来は全くわかりませんでしたが、きっと何か「にょい」に関係する事柄があったんだと思います。

 

ここで重要なのは、本人が別に嫌がっていなかったということです。

 

他にも、20歳の時にバイトしていたパチンコ店で「まさよし」と呼ばれている人がいました。本名は「じゅんいち」です。

このまさよしの由来に関しては「じゅんいちよりもまさよしっぽい」というだけでした。

もう全く意味がわかりません。

 

僕もまさよしと呼んでいましたが(笑)

 

ここでも本人は嫌がっていませんでした。

 

「ホントは嫌がってたけど言えなかっただけなんじゃね?」

と思われる方もいると思いますが、ここではそうではありません。そういうあだ名で呼べる関係性にあったからです。

別に〇〇って呼ばれても気にならないという関係性だからこそ成立していたあだ名だったと思います。

 

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誰でも最初は〇〇君、〇〇ちゃん

思い返せば、一番最初は誰でも「〇〇君」とか「〇〇ちゃん」とかって呼んでいたと思います。

そこから関係が深まっていき、あだ名で呼びあうようになる。

そういう流れというか、そういう形でより関係が近づいていくという事もあると思うんですよね。

もちろん、いつまでも君付けやちゃん付けでも親しい関係の人はいますから全てがそうだとは言いません。でも、あだ名で呼び合う方がよりお互いを信頼しているというか気を許しているという気がしますよね。

傍から見ていてもあだ名で呼び合っている光景を見ると仲いいんだなぁと感じると思います。

 

言い換えればお互いの関係性を築くうえでも「あだ名」というのは意外と重要な気もします。

 

 

あだ名で嫌な思いをした人

あだ名で嫌な思いをした人はどれぐらいいるのでしょうか。

 

日本トレンドリサーチが20年11月、社会人1400人に調査したところ、小学生の頃にあだ名があったのは69%。このうち36・7%が「嫌な思いをしたことがある」と回答した。

 

とあるようにリサーチでは半分以上の人が嫌な思いをしていたことになります。

あだ名で呼んでいる方は好意を持って呼んでいるかもしれませんが、呼ばれて本人も嬉しいとはなりません。

 

このリサーチでもう少し掘り下げて欲しかったのは「嫌な思いをしたことがある」という36.7%のうち”いじめ”を受けていたという方が何人おられたのか。

もし、いじめを受けていたのであれば、これはもう「愛称」とは呼べず「蔑称」になると思います。

いじめられてはないけれど、なんとなくそのあだ名は嫌だ。という方もおられるでしょう。後者の場合は「やめてくれ」と言えない関係性だったのでしょうか。

もし言えない関係性なのであれば、それはもうすでに「いじめ」に変化してきているのではと思います。

 

ちなみにですが、僕の高校の時のあだ名は「くさお」でした。

先輩が呼び始めたことをきっかけに同級生まで呼ぶようになりました。

 

臭いから「くさお」なので、きっと漢字にすると”臭男”なのだと思います。

 

「臭い」ってなんか字面が臭そうですよね(笑)

 

 

あだ名は禁止しない方がいい

学生時代にウンコマン、くさおというあだ名を付けられた僕ですが、あだ名を禁止するとコミュニケーションという部分で成長の妨げになる可能性もあるのではと思います。

もちろん、いじめなどに発展する可能性もありますから明らかに悪質なあだ名はやめるべきだと思いますが、「禁止」までしなくてもいいのではと思います。

 

ただ、一番重要視すべきなのは「呼ばれてるサイド」です。

呼ばれている側が嫌な気持ちがしなければ、まぁまぁアリかな。

呼ばれている側が嫌悪感を感じているなら、直ちにやめるべき。

 

ですから、一括して「あだ名禁止」とするのはどうかと。

せっかく縮められる友達との距離感も縮まりにくいんじゃないかなと思ったり。

 

 

時代の変化もありますから、僕の時代とは全く違う時代ですし「別にあだ名なんてなくても仲良くなれんよ」っていう人もいると思います。

それならそれで全然いいと思います。

ただ、「仲良くなる手段の一つ」として”あだ名”という選択肢を捨てなくてもいいんじゃないかしらと思う次第であります。

 

 

何から何まで「禁止」してしまってはせっかくの成長時期に蓋をしてしまうような気がしてなりません。子供の時ってやっぱり一番成長する時ですし一番なんでも経験できるしするべき年代だと思います。

学生時代の生活で人格や人間性が決まると言えそうなぐらいとても重要だと思います。なんでも禁止して窮屈な生活を送るよりも、あだ名で呼び合って和気あいあいとしている方がいいんじゃないかなって。

 

一応現時点では賛成派よりも反対派の方が多いようなので、少なからず僕と似た意見を持っている方もおられるんじゃないかと思っております。

 

 

どんな時でもコミュニケーションというのは必要になります。

コミュニケーションの取り方一つで相手との関係を良くも悪くもできます。

そう考えるとコミュニケーションがヘタよりもウマい方がいいですよね。完全に一人で生きていくって正直無理だと思いますから。

何かしら誰かと接する機会ってありますからね。

 

そんな時に、お互いが嫌な思いをしないためにもコミュニケーションって大切だと思います。

 

そのコミュニケーションの力をつけるためにも、あだ名という愛称で呼び合えるぐらいの関係を築けることの方が大切なんじゃないかなぁ。