先日SNSを見ていると海外のショート動画で
『法律とは何か』
みたいな動画を見て思うことがありました
人間は両親、学校教育、周囲環境など様々な複数の環境により”その人”が形成されていくものだと思っています
なのでかなり暴論にはなってしまいますが少しだけ話をしたいと思います
あくまでも僕の生きてきた1ドットに過ぎない小さい世界での話になりますので大目に見ていただければ幸いです
これまで色々なことをしてきました
僕自身が自分のやりたいように生きてきた部分も少なからずあるので
自分のやりたいこと、やりたい熱量を同じだけ持った人たちと過ごしてきた時間が長いです
一番わかりやすい例がバンドです
本当に売れたくて「バンドで生活したい」とまで思って活動していましたから
周りにもそういう人ばかりが集まっていました
ライブ終わりの打ち上げは当然のこと
休日もご飯を食べに行ったり、バンド仲間の家に集まってああだこうだと夢を語ったり活動方針を一緒に考えたり
などなど同じ同じ気持ちを持った人間がたくさんいました
そういう熱意を持った人間って意外と少ないんだなということを最近になって露骨に感じるようになりまして
もちろん僕自身も興味のないことに対して熱意が湧いたりということはないのですが
そもそもとして『何かを熱く語る人』というのは(僕の周りからは)いなくなったと感じています
冒頭のSNSの動画の話に戻りますが
その動画では法律のことを先生が熱く話してました
その話を生徒たちも真剣に聞き真摯に受け止めていました
僕の学生時代に熱く語った先生はいたかと思い出してみたのですが一人もいませんでした
淡々と授業をやるばかりの先生ばかりだったように思います
僕だけが先生とそういう接点がなく他の生徒とはそういう話をしていた可能性は十分にあります
ただ少なくとも僕が受けた”授業中”にはそういう話はなかったと記憶しています
他の先生や他の学校などを全てひっくるめて言ってしまうことにはなるのですが
日本の学校ってそういう熱く授業する先生というのが少ないのではと思いました
その動画ではなんの授業なのかはわからないので法律の授業と仮定して話をしますが
『法律はなんのためにあるのか』
『法律はなんのために学ぶのか』
そういう物事の根底の部分と言いますか
本当に大切なことと言いますか
そのものの意味をしっかりと伝えてくれていると感じました
海外のドッキリ番組を見ていても
とても素晴らしい人が多いように感じます
(放送されるものしか映っていないことは理解しています)
ただ日本のドッキリとは違う構造になっていることがそもそも違うのかなという気持ちです
あれやこれやと色々なことを書いてしまいました
結局何が言いたいかと言いますと
『どのタイミングで知るか』
ということです
複数ありますから”何か”というのはその人の中で当てはめていただければと思いますが
例えば「思いやり」だったり「仕事への向き合い方」だったり
どれが正しいなんてことは人によって違うこともありますから正解は難しいですが
少なくともある程度万人に共通する部分というものは存在すると思っています
そういうものを踏まえた上で社会で生きていくことができれば世の中少しはストレスも減るのかなと感じます
やたらめったら表に出す必要はありませんが
やっぱり”熱い思い”というのは持っておいて損はないんじゃないかなと思います