鳥と魚と僕とポーク

実るほど頭を垂れる稲穂かな

理由にこだわりすぎる人が多い。「こういうもの」という感覚は結構大切だと思う

f:id:to-many-hopes:20250716192503j:image

 

『ウインカーを出す意味がわかりません。』

という見出しの記事を見つけまして

記事を読んだところ少し前に話題になった素朴な疑問のようで

 

質問の投稿者は

「暗い夜間であれば見えづらいのでその意味は充分に分かります。目視で車を確認できる昼間にまでウインカーを出すことは何か特段の理由があるものなのでしょうか」

さらにはウインカーを出すことの“デメリット”を主張し

「ウインカーを出すことに集中して肝心な運転がおろそかになってしまってもいけないと思います」

と言ったそうです

また「ハンドルを回せば自動的にウインカーがつく仕組みなんて簡単に作れると思うのですが」という提案までしているということで

 

日頃運転している人ならわかると思いますが

  1. 交差点の手前ギリギリでウインカーを出す人
  2. なぜが車線変更ではウインカー出さない人

なんていうドライバーも存在します

 

そもそもウインカーの役割というものを理解していないからそうなるのかもしれません

ですが教習所でウインカーは

『右左折、転回するときは30m手前から』

『車線変更は3秒前から』

と習ったはずです

 

このウインカーの合図の出し方と共に

“周囲に自分の行動を伝えるため”

という教えがあったと思います

交通ルールとマナーは教習所で習うはずなのですが

 

f:id:to-many-hopes:20250716192613j:image

こういう「それって意味あるんですか?」という発言は少し前から耳にするようになりました

なぜか「理由」を求めすぎる人が多いように感じます

もちろん理由は必要な場面が多いことは事実ですが社会を生きていくためには『こういうものだ』と割り切る気持ちも時には必要な気持ちなのではないかなと思います

 

全てのことに意味を求めてしまっては

やっぱりメンタル的にも辛くなってくるのではないでしょうか

 

“人生に意味なんてない”

という人もいますからね

 

意味を知ったところで自分が納得できなければあれこれ反論してくる人もいます

とはいっても何でも受け入れましょうということではなくて

たまには意味なんて考えずにいこうということです

時と場合、物事によりますが

時には「そういうものだ」と受け入れてしまったほうが楽な時もありますよ

という気持ちです