教養がある人て憧れますよね。
雑談などでも何か話をしているときにスラスラと答えることができたり、幅広いジャンルのことを知っていたり。
今の時代教養が求められていることはご存じかと思います。
書籍でも様々な教養に関する本が出ていますし、タイトルにも「教養」という言葉が含まれる書籍がたくさん出ています。
これはほんの一部ですが、教養を学ぶことがこれからの人生戦略のような感じになっています。
確かに教養はないよりはある方が絶対にいいと思います。
色んなことに役立ちますからね。
ビジネスではもちろん、日常でも役に立つことがたくさんあります。
特にお子さんがおられるご家庭だと子育てにも活かせる部分もあると思います。
ですが教養があることは大切ですが、”教養だけ”ではあまり意味がありません。
794年、平安京に都を移す
半径x半径x3.14
底辺x高さ÷2
などなど公式や年号などを大量に暗記しているだけの人。
Wikipediaなどで調べた内容を知っている風に話す人ですね。
知識はたくさん持っていますが、話に面白みがないという感じですよね。
同じ教養でも「教養がある」ということと、「教養だけ」の人の差はどこにあるのでしょうか。
教養だけの人と教養がある人の差は”深い部分まで知っているか”
結論から言いますと、知っていることを具体的に説明できるか。
という部分が決定的な差になります。
一つの事柄の深層部分といいますか、深い部分、根本部分まで理解しているかどうか。
そういう部分がとても重要になってきます。
調べれば出てくることだけをいうのなら別に誰かに聞くよりも自分で調べる方が早い。
という事になってしまいますよね。
三角形の面積を求める「÷2」の理由
先ほど書きました「底辺x高さ÷2」
これは三角形を求める公式ですが、なぜ”2で割る”のでしょうか。
小学生などに聞かれたときにこの”÷2”を説明できるかどうか。
ここがカギになります。
公式だけ覚えている人は「これが三角形を求める公式だから」という回答になるかと思います。
ですが、教養がある方の場合はこの”÷2”の部分を解説することができると思います。
一応解説しておきますと、この三角形の面積は「底辺x高さ」で四角形の面積を求めてそれを半分にすることで三角形の面積がわかるということです。
「当たり前のことをいうな。馬鹿にしているのか。」
という声が出そうですが、教養だけの人はこれが解説できない傾向にあります。
公式を覚えているだけで答えを出すことはできます。
ですが、なぜこうなるのか。という部分を説明できるかどうか。というところが”教養がある人とない人の差”ということになります。
この部分が大きな差を生んでしまいます。
マウントを取ってくる人も意外と知識が薄い人が多い
知識が薄い人というのは色んなことを幅広く知ってはいますが、深い部分までは知らないので淡々と自分の知識だけを披露するということが多いです。
自己満足感だけを満たすために話す。という感覚ですね。
ネットなどで得た知識だけなので、まるでWikipediaの丸暗記という感じで聞いていても話に面白みがありません。
これが一番の欠点というか難点というか。
自分は教養があると思ってしまっている以上なかなか改善できないというのがつらいところですよね。
教養のある人は話が上手
教養のある人は深い部分まで知っているため、話を組み立てることができる上にどういう流れでそうなったか。という事を理解しているので話が面白いんですよね。
それに一つの事柄だけを話すのではなく、それに関連するような知識も引き出すことができたりするのが特徴です。
様々なジャンルの物事を知っているだけでなく、一つ一つが独立しているのではなくつながりを持っている場合が多いです。
そのため、話に奥行きが出るといいますかより詳しく話ができるというのが特徴です。
教養だけじゃない人になろう
知らないことが多いよりも知っていることが多い方がいいですからね。
ただ、正しい知識と教養。そしてうわべだけの知識だけじゃなくちょっと深い部分まで知るということを意識することが大切です。
「なぜそうなるの?」と聞かれたときに「本に書いてあったから」「Wikipediaに書いてあったから」ではなく「これこれこういう事でこうなるんだよ」と説明できる方が説得力も増しますし周りからの評価も上がります。
今はネットでどんな情報でも入手できる時代です。
少し調べればある程度の知識は得ることができると思います。
(もちろんその情報が正しい情報か。という部分はありますが)
ネットが普及したことで、無料で論文を読むことだってできますから検索方法さえしっかりしておけば正しい知識を得ることや、深い部分まで知ることは可能だと思います。
これからの時代知識と教養がある人が生き残る時代だといわれています。
知識を得る、教養を身に着ける。という事に遅いという事はないと僕は思います。
いつだって勉強すればいいですし、人生は常に学ぶべきものだとも思います。
僕もこれからの時代に取り残されないよう少しずつではありますが、本を読んだりして教養と言えるようなものを身に着けていこうかなと思っております。